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2006年9月30日 (土)

9/29 元冠防塁と海岸線

ヤフードームの北側、都市高速道路の高架下のチョイ先が現在の海岸線で、人工海浜の公園になってる。ケヤキで有名(?)になった人工島を例に上げるまでも無く、博多湾の歴史は「埋立」がセットとして付いて回る。よかとぴあ通りから先のドーム側は昭和60年代に埋立てたとされている。平成元年が「よかとぴあ」の開催された年なのでそんなもんだろう。まっ、その辺に付いては詳しいページを見付けたので見てもらうとイイだろう。
ワシの物心ついた時から埋立工事の始まるまでは、丁度よかとぴあ通りが海岸線であった。樋井川を超えた辺りには「百道海水浴場」が有った位(尤も公害問題華やかりし頃毎年のキタナイ度1位であったが…)遠浅の浜だった。防波堤がありその下に砂浜が広がり、アサリや赤貝、時にはハマグリも潮干狩りで採ってた。ぢつは防波堤の跡が韓国領事館のトコの歩道橋の近くの民家に少なくとも1箇所残っている。中国領事館の辺りでは「海苔の養殖」もされていて、中学の先輩がその「海苔網」のトコを目標に手作りボートをこさえて漕ぎ出したが、3メートルも進んだ辺りで「沈没」して大笑いした記憶がある。釣りをする人もいて、カレイやボラなんかが揚がってた。そうそう確か「天然記念物」だかの「カブトガニ」もいたナァ。尻尾引っつかんで「円盤投げ~」なんて遊んでいたのだが(ヲイ)悪ガキのお茶目なヒトコマだったと言う事でお許しくださいm(__)m
派出所のよかとぴあ通りから見て裏手にNTTの寮が建っている。当時は「玄海荘」と言う、保養所兼宿舎であった。平戸の義理の叔父が電電公社に勤めていた関係で、出張時には良く利用していたと聞いた。「タイの活き造り」なんかも頼めば出してくれていたそうな。その他にも昔は保養所だったトコは幾つか有るし、シーサイドハイツやら臨海荘と言った名前のアパートなんかが(まあ随分立て替わったが)当時の「海岸線」の名残であろう。まっ、マンションやらアパートやらの話はまた後日…
韓国領事館の向いに「セルフスタンド」が有る。小学校の同級の「モリヤマ君」の家だったのだが、転校して空家になってその後空き地になって、スタンドになった。今はどうしているのだろうか…
そのスタンドから地行の交差点に向ってなだらかな坂になっている。コノ道の東側が昔「地行東町」と言ってた現在の地行1・4丁目である。西側が旧地行西町の現・地行2・3丁目になる。昔は車一台しか通れナイくらいに狭かったのが「ウソ」の様な立派な道に出世した。で、坂を登り切った辺りに手押し式の信号機がある。この路地を境に明治通り側が地行「1・2丁目」よかとぴあ通り側が地行「3・4丁目」になるので、地行の「へそ」である(笑)
で、本日の「お題目」のソレはがコノ路地なのである。コノ路地に沿ってあの「元冠防塁」が築かれていたのである。福岡市内では今津とか西新やその他で「特別史跡」として当時の姿を偲ぶ事が出来る様になっているが、そう言った場所を線で結んで行くと、丁度コノ路地になるのだ。
ウチの教室のお隣の家の横に、車一台がやっとの道が有る。途中から車も無理な道なのだが、構わずズンズン進んで行くと、↑に書いた路地にぶち当たるのだがフェンスに囲まれた空き地がある。かつては一軒家が建っていたのだが、何時の頃か忘れたが取壊されて空き地になった。看板が建っててナニやら市の土地の様である。元冠防塁なので保存しているらしい。ウンウン良い事だ。
ってコトは、750年位前の鎌倉幕府の頃の地行の海岸線は「この辺」だった訳であろう。その後干拓されたのか埋立てられたのか何時の間にか地面になったのかは、当時生きてたわけでナイので(笑)解らんが、ソコから今のドーム横の海岸線まで直線でも1キロは有る。福岡市の「陣地」も随分増えたものである(バキッ)
自慢ぢゃあナイが、ワシは歴史が大の苦手で、何せ高校の時に「日本史の単位を落とした」程である(苦笑)が、こう言う「身近」な所の歴史を調べて、妄想・夢想するのはナカナカイイ物である。

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